七五三ってなにをする行事?
昔は無事育てるのが難しかった
「子宝」ともいわれるように、子供は昔から天からの授かりものとして大切に育てられてきました。 医学が発達する前は乳幼児の死亡率が高く、無事に育てるのが難しい時代が長く続きました。 ある程度の年齢になるまでは適当な名前しかつけない風習もあったそうです。ポチとかタマみたいな…
幼児は人の子じゃなく「神の子」
どうせすぐ死んでしまうから、というのではなくて、子供は三歳になるまでは「神の子」という考え方からきています(七歳までというところもあります)。 神様の元に召されないよう細心の注意を払いながら、陰陽道で縁起のよいとされる奇数の歳に祝い事をしたのが起源のようです。 三歳・五歳・七歳(昔は数え年)で、いつしか「七五三」と呼ばれるようになりました。
■三歳は「髪置き」の儀式
昔の幼児は髪を剃っていました。不衛生から病気にならないように、という意味もあったのでしょう。もう髪を伸ばしても大丈夫なのが数え年の三歳からでした。 女児は丸坊主ではなかったようですが、髪を束ねる「髪立て」の儀式がこれにあたります。
■五歳の男児は「袴着」の儀式
男の子は五歳になると初めて袴をはく「袴着(はかまぎ)」の儀式をします。おそらく武家の風習でしょう。それに倣って五歳男児の七五三衣裳は袴姿が定番です。 昔の三歳男児は女児と同じく被布だったようです。
■七歳女児は「帯解き」の儀式
女の子は七歳になると、それまで着ていた紐つきの着物から大人と同じ四つ身の着物に変える「帯解き」(地方によっては「紐落とし」「四つ身祝い」)の儀式をします。 このときから幼児でなくなり「神の子」から解き放たれる大事な節目の儀式でした。
いまみたいな七五三は明治以降
七五三行事の起源は諸説ありますが、現在のような形で行われるようになったのは近代になってからです。 江戸時代までは階級社会で、武家・農民・町民によって生活様式や行事が異なります。それらを統合して11月15日に祝うようになったのは、明治時代に入ってからでした。 それまでは地方や階級によって様々な日に行われていたようです。
七五三の日取りに旧暦はない?
収穫が終わって一段落したころがよかったんでしょうね。昔から15日は「鬼宿日」といって鬼が出ない日とされてきました。 ちなみに旧暦(太陰暦)の15日は必ず満月で、収穫を祝う秋祭りに鎮守様へお参りする風習が各地に残っています。 日本が新暦(グレゴリオ暦)になったのは明治になってからです。明治政府が決めた11月15日はおそらく新暦だから、七五三に関しては「旧」という概念はないようです。
七五三のお祝いはいつやるの?
これまでの解説を見る限りでは、七五三のお祝いはいつやってもいいわけです。ただし神社・仏閣にお参りする場合は、祈祷を受け付けている期間が限られます。 現在のように誰でも七五三を祝う風習がなかった時代は、11月15日しか受け付けていない神社が圧倒的多数派でした。 ところが今や10月11月の二ヵ月がハイシーズンの定番となっています。祈祷を申し込まなければ一年中、自由参拝が可能です。お宮参りと同じ感覚ですね。
七五三は数え年か満年齢か?
七歳・五歳・三歳は本来は数え年だと、かたくななことを言う人がいます。確かに江戸時代は数え年だったし、明治・大正生まれで数え年を言う年配者がいました。
しかし現在は歳を数えるときはすべて満年齢です。初めて髪を伸ばしたり、袴をはいたり、四つ身の着物を着たりする風習がないのに、ことさら数え年にこだわる必要はないでしょう。 「満年齢に1歳足したのが数え年だ」という人がいますが、そう単純にはいかないのが「数え年」です。
七五三の衣裳はレンタルで?
現代の七五三行事は、子供の成長を祝う意味で、いつ・どこで・なにを着てやっても構わないはずです。それでも昔ながらの着物姿で記念写真を撮ったり、神社へお参りに行ったりする人が大勢います。 七五三衣裳は借りるもの…そう思っている人が多数派のようですが、昔はどうだったのでしょう。
お宮参りの初着を仕立て直す
子供が生まれると、ひと月後か100日後に神社にお参りに行く風習があります。そのとき赤ちゃんに被せて着せる初着【写真】を七五三のときに仕立て直すのが一般的なやり方でした。 そもそも七五三行事は、出入りの呉服屋が初着を売り込みに来るような裕福な家だけに限られた風習だったようです。
七五三も初着もレンタルの時代
今では誰でも七五三を祝います。初着を仕立て直さなくても一部の写真スタジオでは衣裳をレンタルしています。初着までレンタルで済ます世の中になりました。 ディノでは洋装での七五三記念撮影を推奨しています。七五三衣裳のレンタルは現在していませんが、お宮参り(百日祝い)の初着は用意しています。